読みもの

教員インタビュー 松村一志先生

2022.01.14

―まず、自己紹介をお願いします。

松村先生:松村一志です。現在(2021年8月)は、文芸学部マスコミュニケーション学科の専任教員として「マスコミ原論」などの授業を担当しています。成城大学には今年の4月に着任したばかりで、ようやく大学にも慣れてきたところです。最近は、大学周辺の食事処を開拓していて、オススメのお店を他の先生に教えてもらったりしています。このところ、「雨風食堂」という駅の向こう側のお店によく行っています。

―ここにいらっしゃる前はどちらにいて何をされていたのでしょうか?

松村先生:成城に来る直前は、日本学術振興会の特別研究員という身分でした。それより前は、大学院生をしていました。私は2010年に学部を卒業したのですが、そこから大学院に上がり、2年間の修士課程を出てから、ずっと博士課程にいました。博士課程は最短だと約3年で博士論文を書いて修了するのですが、人文・社会科学系では時間がかかることも多いです。私の場合は博士課程に8年間在籍していたので、大学院には全部で10年通ったことになりますね。

―成城大学への勤務が決まった時に、成城大学にはどのような印象を持たれていましたか?

松村先生:はっきりとしたイメージがあった訳ではないです。ただ、私は中高が武蔵学園だったので、私立の旧制高校というつながりがある成城学園は、近い雰囲気なのかなと思っていました。旧制高校のことをいつ知ったのかは忘れてしまいましたが、中学生の時に小澤征爾さんの『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫)という本を読んだら、成城・成蹊・学習院・武蔵の4校でラグビーの対抗試合をやっていたと書かれていて、そんなつながりがあるんだなと思ったのを覚えています。それ以外だと、一般的に言われるような上品なイメージがあったと思います。

―実際こちらに勤務されてみて思っていた印象とギャップを感じた部分はありますか?

松村先生:ギャップというわけではないですが、学園高校から上がってきた学生さんが割と多いなと感じました。初回の授業の時に2人1組になって互いに自己紹介をしてもらったところ、そのうちの1つのグループから「僕たち小学校から知っています」と言われてしまったこともあります……。

―先生ご自身はどのような学生生活を送られていたのか教えてください。

松村先生:私の大学は語学によってクラス分けされていたのですが、たまたま上下のつながりが強いクラスに入ったので、クラスの人たちとサークルのように集まっていました。大学院生の先輩が中心になっていたので、図書館で過ごすことが多かったですね。図書館に行き、本を読んで、みんなでお昼を食べに行って、また図書館に戻ってきて……というように、部室みたいな感覚で図書館を使っていました。

 学部3年生から4年生にかけては、地域文化研究学科アジア科という学科に入って、中国のことを中心に学んでいました。当時は中国旅行に行くことも多く、友達と2人で中国大陸をぐるっと一回りしてみたこともあります。

―大学生の時にやって良かったなと思うことはなんですか?

松村先生:交換留学で北京大学に行ったのは良い経験でした。高校時代にも2ヶ月ほど留学したことがあったので、2度目の北京ではありましたが、海外に滞在すると、色々なものを新鮮な眼で見ることができると思います。新型コロナウイルスの関係で今は難しいですが、皆さんも将来的に留学をしてみると良いかもしれません。

 それから、ありきたりですが、やはり授業が大事だと思います。数年前、大学で教えることになったときに、自分が大学1年生の頃の授業プリントを見直してみたんです。そしたら、教科書には載っていないようなことが沢山書かれていました。先生方はかなり練って授業を作っているので、レベルの高いことをやっている場合が多いと思います。そういう意味で、もうちょっとしっかり授業を聞いておけば良かったなと少し後悔しました。

松村先生_北京大学校留学生宿舎_勺園
写真1:松村先生が滞在した北京大学校内の留学生宿舎「勺園」。

―先生の専門分野は社会学や科学論ですが、それをコミュニケーションの観点から研究していこうと思った経緯は何ですか。

松村先生:社会学は「自分の意思ではどうにもならないもの」としての「社会」を分析する学問ですが、コミュニケーションはまさに、自分の意志ではどうにもならないところがありますよね。例えば、話が思いがけず盛り上がることもあるし、逆に、どう頑張っても話が途切れてしまうこともある。それから、意気投合することもあれば、激しく対立してしまうこともあります。

 自分の意思でどうにもならないのは、コミュニケーション自体に一定の構造があるからです。例えば、「お笑い」だったら、ボケとツッコミという仕組みを持っています。これに沿っていないとシラけてしまったりしますよね。でも、この仕組みは、あくまでも日本のケースで、他の国に行けばその国に固有の「笑い」の仕組みがあります。つまり、コミュニケーションのルールや作法には、社会ごとの違いや歴史的な積み重ねがあるんです。

 私の場合、コミュニケーションということで強く印象に残っているのは、高校時代の交換留学での経験です。当時、中国の友人と議論する機会があったのですが、議論が平行線を辿って気づいたら2時間近く経っていました。そのときの経験がきっかけで、「議論」というコミュニケーションに関心を持ちました。

 「議論」とは、どの意見が正しくて、どの意見が正しくないのかを決めるものですが、そのルールや作法にも様々なバリエーションがあります。国会の論戦もあれば、法廷での弁論もあるし、科学的な議論もあります。また、時代や地域によっても違いが出てきます。最近では、インターネットを中心に、「論破」のような文化もありますね。そう考えると、「議論」のルールや作法のバリエーションとその歴史的背景が気になってきます。中でも最も厳密なルールを持つのは、やはり科学的な議論だと思います。そうした理由で、「議論」の中でも、特に科学のコミュニケーションに注目してきました。科学論を専門にしているのは、そのためです。

―最近注力されている研究内容について教えてください。

松村先生:これまで理論と歴史を中心に研究してきたので、現代の問題を考えたいと思っています。注目しているものの1つは「エビデンス」という言葉です。新型コロナウイルス感染症の流行も手伝って、「エビデンスがある」とか「エビデンスがない」といった表現をよく耳にするようになりました。「エビデンス」という言葉には「科学的証拠」のニュアンスがありますが、広い意味で「証拠」の歴史の中で、「エビデンス」がどう新しいのかを考えています。

 「エビデンス」を重視する世間の風潮には、インターネットの普及が関わっていると思います。20世紀後半には様々なデータベースが作られ、現在ではインターネットを通じて多くのデータベースにアクセスできるようになりました。そういう形で、人々がものを調べる社会になってきました。だからこそ、自然と主張の根拠としての「エビデンス」を求めたくなるのだと思います。そうしたことを念頭に置きながら、20世紀末から21世紀初めにかけての情報環境の変化を考えたいと思っています。

―先生の教育理念について教えてください。

松村先生:大きく分けて2つ考えていることがあります。

 1つ目は、「学問は勉強ではない」ということです。「勉強」という言葉は「勉め」「強いる」と書きますが、実は、中国語だと「勉強」はまさしく「無理やり何かをさせる」という意味なんです。もちろん、日本語では「無理やりさせる」という意味はないのですが、それでも「勉強しなさい」と他人からやらされるイメージがありますよね。そうではなくて、自分にとって大事な「問い」を探して、それに対して自分で「答え」を出すということが重要かなと思います。「問い」といっても色々あって、インターネットでノウハウを調べればすぐに解決できるものもあります。でも、すぐには解決できない問題とか、インターネットの情報では解決しない問題もたくさんあります。そうした問いに答えるには、自分の手で調べたり、自分で考えたりするしかないので、その姿勢を養うことを大事にしています。

 2つ目は「身体で覚える」ということです。「学問」と聞くと、頭を使うイメージがあると思うのですが、実は身体で覚える面も大きいんです。例えば、車を運転するとき、シートベルトしたり、ミラーを直したりしますよね。そうした動きも、最初は1つ1つ確認しないとできないわけですが、次第に身体が覚えてきて、思い出そうとしなくてもできるようになってきます。学問にも実はそういうところがあって、何かを調べたり考えたりするためのやり方を、身体に覚えさせ、意識しなくてもできるようにすることが大切だと思っています。

 例えば、「調べる」ということであれば、OPACやCiniiで書籍や論文を調べたり、新聞・雑誌記事のデータベースを使ったり、公式統計を調べたりすることもできます。Wikipediaを調べる場合でも、その脚注や出典を辿ることでかなり効果的に調査できることもあります。このような調べ方がパッとできるようになることで、情報収集の速度や精度が変わってくると思います。

―授業の中でそういったものは取り込んでいますか? 

松村先生:マスコミュニケーション学科では、「WRDII」「マスコミデータ解析実習I・II」「マスコミ研究法」をはじめ、「調べる」ための授業が充実しています。これに対し、私の講義や演習では、「考える」ことを重視しています。講義ではコメントペーパーを課して、私の方で設定した「問い」に答えてもらうことにしています。その上で、期末レポートでは、私が出していたのと似たような「問い」を自分で立ててもらっています。一方、演習では、問答を大事にしています。自分一人で考えを深めていくのは意外と難しいものです。そこで、まずは私の方で質問を投げかけ、それに答えてもらうことを重視しています。そうしたことを繰り返す中で、自分の意見に自分で質問を投げかけるクセがつくと良いなと思っています。

―インタビューにご協力ありがとうございました。

写真2:松村先生の著書『エビデンスの社会学:証言の消滅と真理の現在』(青土社)。

松村一志:東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科専任講師。専門は社会学・科学論。著書に『エビデンスの社会学:証言の消滅と真理の現在』(青土社)。