読みもの

TEACH IN MOVIES 第3回『来る』後編

2021.05.14

Chapter.4 身内になりすまして近づく—民話からネットロアまで

廣江:皆で映画を観ているときに、怪異が人間のふりをして呼びかけるところが八尺様に似ているなあと思ったんですよね。発祥はどこだっけ?

押見:発祥は2ちゃんねるで、人気の怪談の一つです。

後藤:どんな話なんですか?

押見:まず主人公が祖父母の田舎に遊びに行って、そこで非常に身長の高い女性の化け物に出会います。そしたら何でもそれが八尺様という祖父母の田舎の地元に伝わる妖怪のような存在だということで、今すぐお祓いをしなければ危ないと言われ、2階の部屋に一晩こもりそこから動いてはいけないと言われます。その間窓を叩かれるコツコツという音が聞こえたり、下の階から祖父母の声で「もう大丈夫だから下に降りてきていいぞ」と言われたりしましたが、それも実は八尺様が声真似をして外に出るように仕向けていて、妨害をしてきたわけです。なんだかんだ主人公は最後まで部屋の外に出ないで耐え切って、そのまま祖父母の田舎から脱出することができたという話です。

及川:お化けが身内の振りをして話しかけてきて、それに応えてはいけないとか、そういう要素が繋がっていると廣江さんは思ったわけですね。

押見:「八尺様」や、他にも「くねくね」1のようなネット上で有名な怪談は、地域の言い伝えや妖怪のような、通俗的な民俗学の要素がとても好まれるというのはネット上の怪談の研究でも結構指摘されています。

村上:その「八尺様」の話は2ちゃんねるが発祥とのことでしたので、比較的新しい話ということなんですね。

廣江:「八尺様」はそうかもしれませんが、それの元ネタや原型は、説話に色々エッセンスがあるんじゃないかなあと思っています。例えば、徳島県にある「タヌキと幽霊」っていう昔話。これは『まんが日本昔ばなし』というアニメでも紹介されたことがあります。

及川:「幽霊タヌキ」とか、いろんなタイトルで語られている民話ですね。ある男が肝試しか何かで、お化けが出ると言われている墓場の木の上に登って、一晩過ごすことになりました。そこで一晩過ごすことができれば、勇気がある者として認められます。それで木の上で待っていると、男の仲間がお母さんが危篤になったから帰って来いと言いに来ます。男はこれは幽霊が自分を木から下ろそうとしているに違いないと思って無視します。そうすると今度は仲間と男の弟がやってきて、お母さんが亡くなりそうだから早く戻ってこいと呼びにきますが、それも無視します。そうしたら今度は葬式の列がやってきて、お前のお母さんは亡くなったんだ、にもかかわらずお前は降りてこないなんて親不孝者だと言われて、その木の下にお母さんを埋葬します。男も段々自信がなくなってくるわけですけれども、これは嘘に違いないと思ってじっとしていました。そうすると、この埋葬されたお母さんが棺桶から飛び出してきて、この親不孝者と木を登ってきます。男は持っていた斧を投げて、お母さんを撃退しました。しかし、じっと見ていてもお母さんは死んだお母さんのままなので、男は本当のお母さんだったのではないかと心配になりますが、朝になって見るとそれは大きなタヌキでした。男は騙されそうになっていたというのがわかる話ですね。こうやって身内のふりをして安全なところから「こちら側」に人間を呼び寄せようとする話の要素は「八尺様」にも見受けられますが、伝統的な民話の中にも似たような話のパターンがあるということですね。それが怖さを引き立てる要素として映画にも活用されているということなのでしょう。

後藤:「オオカミと7匹の子ヤギ」2とも重なる気がします。

及川:なるほど。あと、私が思い付くのは、お化けが騙して人間を安全なところから誘い出す話や、悪いものを遮断しようとしているお守りのようなものを人間の側に解除させる話などが似ているのかなって思っています。例えば、『雨月物語3』の中にも似たような話があります。自宅に閉じこもってお化けを避けようとしている男が、空が明るくなったので朝が来たと思って外に出てみたら、まだ夜で殺されてしまいます。空が明るくなったのは、実はお化けが騙そうとしたものであったということです。こんな感じで昔の説話にも安全なところから人間を誘いだすという点、共通するパターンを見出せます。

村上:様々な怪談のパターンのようなものを取り込んでいるんですね。

押見:昔の説話だけでなく、最近のオカルトネタも取り入れられているようでした。映画の中で儀式の準備に琴子がファブリーズをやっているシーンがありましたが、あれも「八尺様」と同じくネット上のものが由来です。『零〜紅い蝶〜』というプレイステーション2のゲームのスタッフが、開発中に霊現象が起こった際、ファブリーズをしたら収まったという話です。これも定番ネタの一つと言えますね。


Chapter.5 あの儀式は何だったのか—偽物だけど本物

村上:儀式のシーンは強く印象に残りました。様々な宗教や信仰がごちゃ混ぜになっているようでしたね。ふざけていた女子高生が、巫女として真面目に儀式に取り組んでいたのも興味深かったです。

廣江:地域の宗教者には、掛け持ちであるものもあります。例えば一年神主という風習は、一年交代で神主が変わるもので、京都や滋賀の辺りに多いといわれています。

及川:そうですね。現代社会において神主は、例えば國學院大学などで神職の資格を取って働いています。でも、地域によっては祭祀の担当者を住民から選出する仕組みがあったりもします。女子高生たちはあの場で神楽を舞っていましたが、普段は学校に通ってる子達が、祭りの時に神楽に参加するという関わり方はごく普通のものです。『君の名は。』でも登場人物が神楽を舞っているシーンがありましたよね。一般の人でもそういう神事に関わるということはあり得るわけです。女子高生から巫女へという落差としては面白いですけど、実は一般的なことです。

後藤:そうなんですね。

廣江:あと、私は考証がしっかりしているなあと感じました。儀式で神様を迎え入れるときに、初めにニワトリが鳴いていましたが、ニワトリは神様の使いってよく言われている動物です。また、お経も光明真言やひふみ祝詞などの、実際にあるものを指導の人がついてしっかりやっているように思えました。

及川:儀式のシーンでは、廣江さんが言ったように、基本は現実に存在するものが使われています。ただ、流派や文脈の違うものがミックスされているということです。廣江さんの言ったニワトリは鶏鳴三声と言って、伊勢神宮の遷宮の時に行われるものですね。日本の神話で、天の岩戸の中にアマテラスが篭ってしまったときに呼び出すために鶏を鳴かせたという話にちなむものなので、神様をこれからこちらに呼び寄せる際の始まりの合図であるということができます。また、白い砂利を敷いていましたが、あれも伊勢神宮を遷宮するときのお白石持というみんなで河原の石を持ってきて集めるところに着想を得ていると思われます。これは伊勢神宮が社殿を変える時の儀式みたいなものですが、映画では悪いものを追い払う儀式に活用されています。おそらくは見栄えが良いということだと思うんですが、本来の文脈からは切り離されてちょっと異質なものが組み合わされているようです。

▲伊勢神宮の遷宮の様子。1300年以上続いてきた(出典:伊勢神宮公式ホームページ)。

村上:霊能力者の逢坂セツ子はイタコなんでしょうか?

押見:おそらくそうだと思われます。イタコの数珠について、先生何かお話ししてませんでしたっけ?

及川:そうですね。あの数珠は「いらたかの数珠」と言って、ムクロジの実や狼の顎などの動物の骨・牙・爪を繋ぎ合わせて作った長い数珠です。これを持ってるということはすなわち、彼女がイタコか、それに類する口寄せ巫女だということが推測できます。あとクライマックスでも弓道の弓の弦をペチペチ叩いていましたが、あれは梓弓というもので、昔イタコなどの巫女が口寄せをする際に叩いていたと言われているものが取り入れられています。また、クレジットの中にイタコの専門家である大道晴香さんの名前もありました。そういったことから、イタコとは明言されていませんでしたが、イタコ系の宗教者であろうと想像することができます。

押見:原作では、逢坂はイタコではなく主婦の霊媒師でした。

及川:映画にするときに、イタコという設定にしたのでしょうね。本来のイタコは目の見えない女性が行なうことなので、仮にイタコだとすると主婦をやっているという設定は盛り込みづらいはずです。テレビで霊能者として活躍しているというのも、映画にしかない設定だということでしたね。イタコは70年代のオカルトブームの中で、メディアで面白おかしく取り上げられた結果一般の知名度が上がったという経緯があります。

押見:秀樹の霊を除霊するときにカーペットの爪痕を消してましたが、これも原作にはないシーンです。死者と現世との繋がりを断つという形式は葬送儀礼に近いのかなって思ったんですが……。

及川:なるほど。例えば、かつての葬送儀礼には「願ほどき」というのがありました。地域性がありますが、扇の要の部分を外して投げ上げたりするものです。これは死者が生前に持った様々な願いや望みを解除するもので、願いが果たされないまま死んでしまうと、死者の未練につながるので、それを防ぐという名目の儀式です。ひとつの解釈でしかありませんが、カーペットの爪痕を消すのは、秀樹が千紗に会いたいという願いを消していると言えるのかもしれませんね。

村上:映像化にあたって、面白くするために、あるいは細部まで本物らしくするために、様々な工夫がなされているのですね。


Chapter.6 民俗学はホラーではない—日常を見つめる

後藤:個人的には、民俗学って聞くとホラーと関係性が深いのかなと感じてしまいますが、実際はどうなのでしょうか。そういった関係について伺いたかったのが、今回『来る』を選ばせていただいた理由でもあります。

真保:他のホラーやオカルトの映像作品や小説でも、民俗学者が出てくることはよくあります。例えば『トリック4』には柳田國男や南方熊楠をもじった人物が出てきます。大抵そういう時の民俗学者は古い言い伝えに詳しかったり、オカルト的なものを集めていたりするように描かれ、一種の装置として劇中で扱われます。
実際、民俗学がすなわちホラーかというと違います。劇中で民俗学者の津田は、「お前だってそういうの詳しいじゃん」みたいなことを秀樹に言われた際に、「いや、実はそうではなくて……」と言って説明しようとするシーンがありましたよね。民俗学って実際は人々の暮らしだとか、その変遷だとか、あるいは目の前にただ当たり前のようにあることとか、そういったものを考えることができる学問なので、ホラーとイコールではありません。

村上:映画でも、民俗学とホラーの誤解されがちな見方を正そうとする発言はあったんですね。

真保:はい。この映画も、民俗学のホラー以外の観点からも見ることは十分可能なのかなと思いました。例えば育児のシーンも現代の育児の問題として見ることができますね。保育園のシーンもありますが、これはそもそも、仕事の場と家が離れているから子どもを預ける必要性が生じるわけです。また、この保育園が存在するということ自体も、以前の社会では保育は相互扶助として成り立っていたものが、現代になるにつれて利益追従を意識する外部に委託していくことが多い、アウトソーシングしていく社会になってきたとも言えます。劇中でも保育園に預けられた子どもが熱を出して引き取った際、スーパーのスタッフルームで面倒を見ているシーンがありましたが、これも本来だったら近所の人に見てもらうのが当たり前だったのかもしれません。そういうのができない今の社会だからこそ起こる問題なのでしょう。

及川:少し補足説明すると、民俗学がホラー映画などにしばしば登場するのは、人間の死や霊的なものなどの不思議なものの研究もしてきたからですが、その印象が一般にはつよく受け止められてしまっています。民俗学の研究対象の中でもそれらは一部です。むしろ、民俗学は日常の生活文化の一切を対象にします。真保くんが言ってくれたように、育児の仕方も時代とともにどんどん変わってきているし、現代社会において発生させている諸問題は、暮らし方や働き方、さらには家族のあり方の変化とも連動している。そのような生活における様々な事柄の変化を抑えていくのが民俗学という学問のあり方なわけです。したがって、オカルトっぽいものは実は民俗学の一部に過ぎないというのが民俗学者としての意見です。

後藤:自分の感じていたことは結構部分的なもので、もっと現代的なことも含めて幅広く研究されているということなんですね。

真保:津田の研究室も、日本にはあまり見られないような東南アジア系のように思えるお面のようなものがあって、これも民俗学の勘違いされやすい部分が表れているように感じます。

廣江:津田の部屋には仏像も奥に置いてあったと思います。もしかしたら仏像について研究する人もいるかもしれませんが、あまり多くはない気がします。実際、及川先生の部屋に仏像はありません。

▲及川先生の研究室にあるお札。津田の研究室は、民俗学者の部屋というよりも民族学者っぽいという。

及川:仏教民俗学という分野がありますし、僕の部屋にもお札コレクションがあるので、一概に仏像がないとは言えませんが、映画の中の研究室はエキゾチックなものが多すぎかもしれないですね。おそらく、民族学・文化人類学と混同されてるのかも。実は、あの映画は僕の大学時代の同級生が製作に関わっていて、民俗学者の研究室の写真が欲しいんだと言われ提供しました。当時僕は大学を移籍するタイミングだったので、ドアの写真だけあげました。以前僕が勤めていた大学では、研究室のドアは教員の個性を出した飾り付けをせよと言われていたのでお札をびっしり貼っていて、インパクトがあるかなと思ってその写真を提供しました。あと他にも、同じ成城大学にいる小島先生や、松崎先生の研究室の写真などは提供したと聞いてたんですけど、あまり活かされてないようです。劇中で飾られていたものをみると、海外の文化を研究する先生の部屋のように見えました。

真保:そこまで脚色が入っているのは、多分そうしないと普通の事務室に見えてしまうから、ぱっと見奇天烈なものを置くことで、雰囲気を演出しているんでしょうね。

村上:映画として面白くなるような工夫も行われているんですね。民俗学を学ぶことのできる文化史学科にとても興味が湧いてきました。

及川:ぜひ民俗学の授業をとってみてください。先ほども話題になりましたが、本当の民俗学は日常の生活文化やふつうの人びとの人生について考える学問です。授業では皆さんにとって身近な問題を扱うことが多いですし、皆さんが「当たり前」だと思っていることが崩れるような気づきや、自分の日常や生き方を再考するきっかけを提供できたらと思って話しています。授業ではオカルト的な話はほとんどされないとは思いますが、私の講義では先ほどのイタコのように、メディアが煽ったオカルトブームが現実の宗教文化に与えた影響などの話はしています。成城大学は実は民俗学の聖地のような大学で、日本でも有数の研究拠点の一つですし、成城ほどの体制で民俗学を学べる大学は全国でも少ないです。学部学科を問わず、履修してみてほしいなと思います。

  1. 夏の田や川などの水辺に現れ、人間とはかけ離れた動きで白い体をくねらせている。遠くから眺めることに問題はないが、その正体を知った途端に精神に異常をきたす。
  2. 7匹の子ヤギが家で留守番中、オオカミが声を変えたり足の色を変えたりして母親のふりをし、扉を開けさせようとするグリム童話。子ヤギは食べられてしまうが、オオカミの寝ている隙に母親によってオオカミの腹から救い出される。オオカミは母親によって石を腹に詰め込まれ、水を飲もうとしたところ井戸に落ちて死ぬ。
  3. 上田秋成による、江戸時代中期の読本。中国の小説や日本の古典をベースにした怪異小説9編から成る。
  4. テレビ朝日で放送されたドラマ。マジシャンと大学教授のコンビが、超常現象や奇妙な事件を読み解いていく。