読みもの
TEACH IN MOVIES 第3回『来る』前編
2021.04.30
「TEACH-IN MOVIES」へようこそ。
突然ですが、あなたはティーチインという言葉を聞いたことはありますか? 試写会で行われる、一般の観客と映画関係者が質疑応答をすることを指すこの言葉ですが、本来の意味は少し違います。
ティーチイン【teach-in】
学内討論会。政治・社会問題について学生と教師が研究・討議する集まり。また、一般に
討論集会。(三省堂・大辞林第三版より)
そんな本来の意味を損なわずに、現在使われている意味と掛け合わせてしまおうというのがこのコーナー。名付けて「TEACH-IN MOVIES」。
毎回、映画に関連する教授と学生をゲストに招き、討論会を行います。
今回はZoomを用いて行いました。
今回のテーマは『来る』(2018)。
原作は澤村伊智のデビュー作であり、第22回日本ホラー小説大賞の大賞を受賞した『ぼぎわんが、来る』。映画は『渇き。』(2014年)や『告白』(2010年)で知られる中島哲也監督が手がけた。

◆教員ゲスト
及川祥平先生
文芸学部文化史学科専任講師。専門は民俗学。
「学生の頃の卒業論文では現代伝説(都市伝説)について、修士論文では「くだん」という妖怪を取り上げましたが、現在はそのような「おっかないもの」の研究ではなく神社に祀られている偉人など、人の神格化に関心を持って研究しています。原作は未読です。」
◆学生ゲスト
押見皓介さん
文化史学科4年生
「卒業論文ではネットロア1、特にインターネット上の怪談を取り上げました。今回の映画についてはメンバーのなかで唯一原作を読んでいるので、そちらと比較しつつコメントできると思います。」
真保元さん
文化史学科4年生
「卒業論文では銭湯を「サードプレイス」という憩いの場と捉え、そこに通う人々の生活リズムを研究しました。『来る』に関しては原作は読んでおらず、今回初めて映画を鑑賞しました。」
廣江咲奈さん
文化史学科4年生
「卒業論文では『乙女』という女性の表象について研究しました。私も『来る』は原作を読んでいません。」
◆司会
後藤文哉
マスコミュニケーション学科4年生
「卒業論文では映画館のアトラクション性をテーマに執筆しました。映画は好きですがホラーは苦手で、今作が初鑑賞でした。原作も読んでいません。」
村上陽平
マスコミュニケーション学科2年生
「ホラー映画はほとんど観たことがありません。原作も読んだことはありません。こうして座談会に参加するのも初めてです。」

Chapter.0 イントロダクション
あらすじ
オカルトライター・野崎のもとに相談者・田原が訪れた。最近身の回りで超常現象としか言いようのない怪異な出来事が相次いで起きていると言う。田原は、妻・香奈と幼い一人娘・知紗に危害が及ぶことを恐れていた。野崎は、霊媒師の血をひくキャバ嬢・真琴とともに調査を始めるのだが、田原家に憑いている「何か」は想像をはるかに超えて強力なモノだった。民俗学者・津田によると、その「何か」とは、田原の故郷の民間伝承に由来する化け物「■■■■」ではないかと言う。対抗策を探す野崎と真琴。そして記憶を辿る田原…幼き日。「お山」と呼ばれる深い森。片足だけ遺された赤い子供靴。名を思い出せない少女。誰かがささやく声。その声の主…・そ・う・か!・あ・れ・の・正・体・は、・あ・い・つ・だ!決して「■■■■」の名を呼んではならない。「■■■■」は、声と形を真似て、人の心の闇に・・・来る!!!どんどんエスカレートする霊的攻撃に、死傷者が続出。真琴の姉で日本最強の霊媒師・琴子の呼びかけで、日本中の霊媒師が田原家に集結し、かつてない規模の「祓いの儀式」が始まろうとしていた。彼らは、あれを止めることができるのか!?(公式ホームページより)
登場人物
・田原秀樹(妻夫木聡)
会社員でイクメンを称しているが、妻である香奈の気持ちを汲み取らずに過ごしている。身の回りで超常現象が起こる。
・田原香奈(黒木華)
秀樹の妻。秀樹とうまくいかず、子育ての大半を一人でこなしノイローゼ気味に。
・田原千紗(志田愛珠)
秀樹と千紗の子ども。
・津田大吾(青木崇高)
秀樹の友人で民俗学者。秀樹に相談を持ちかけられ、野崎を紹介する。
・野崎和浩(岡田准一)
オカルトを中心に書くフリーライター。秀樹に真琴を紹介する。
・比嘉真琴(小松菜奈)
霊能力のあるキャバ嬢。
・比嘉琴子(松たか子)
真琴の姉。警察など日本の中枢にも影響力がある霊能力者。
・逢坂セツコ(柴田理恵)
琴子が秀樹に紹介した霊媒師。
Chapter.1 所感と論点—ただ怖がらせるだけの映画ではない
村上:私はホラー映画をほとんど観たことがないので、先入観を持たずに観ることができました。前半部分はネットで炎上するような内容がとても現代社会的だと感じました。他方で、後半部分では様々な宗教や流派がごちゃ混ぜになっている儀式のシーンに惹かれました。
後藤:自分も同様に最初はホラーとして身構えて見始めましたが、実際はドラマ性があって、一番はじめは夫の田原秀樹からの視点、次に妻の田原香奈からの視点、最後に第三者である野崎和浩からの視点で話が展開されていきます。この構成はドラマとしてよくできてるなと思いました。
押見:自分は原作を既に読んでいましたが、原作と比べると盛り上がるシーンが多かったと感じました。原作では比嘉琴子が一人で化け物を撃退するので、映画で日本各地から霊能力者が集まって壮大な儀式を行うといった、映像的に盛り上がるシーンが追加されているのが印象に残りました。話の展開を知っていても楽しめる映画でしたね。
真保:ホラーと聞いていたので身構えて観ましたが、怖さとどたばたで一気に畳みかけてくるような、コメディホラーといった感じで新鮮でした。あとは最初に村上さんがおっしゃっていましたが、全体的に人間の暗さや怖さを描いていたという気がしました。最初の幸せそうな夫婦も物語の後半になってくると実はそうではない、みたいな。最初と最後で登場人物の印象が変わっていくのが印象的でした。
廣江:私も思ってたより怖いという感じではありませんでした。お祓いのシーンは、まるで食べ放題セットのようで、仏教や神道、韓国の祈祷師など様々な要素が詰めこまれていて、すごく面白かったです。
村上:全体的には、人間臭さへのちょっとした嫌悪感が感じられて、面白いなあという気持ちで観ていましたね。
廣江:私はどちらかというと子どもの無邪気さの方が怖いと感じました。ラストシーンで、生き残った野崎と比嘉真琴がこれからどうしようというときに田原千紗が無邪気にオムライスを食べてる夢を見ていましたが、その無邪気な彼女が「ぼぎわん」という怖ろしい存在を呼んで、つながっていたのが印象的でした。作中で比嘉琴子が子供は嫌いと発言していたことを思い出しました。
及川:ホラー映画と言ってもいろんなタイプの作品があるわけですね。鑑賞前の予測として、この映画は怖がらせることに重きを置いているのだろうなと思っていたんですが、すでにお話にも挙がったようにそうではない、別のテーマもしっかり織り込まれていると感じました。「子どもをおどかすための存在」を中心とする作品だったわけですが、それをうまく絡めて、現代の家族の問題などを描こうとしているようですね。
Chapter.2 差異の生まれる背景—現代社会を切り取る

▲原作の『ぼぎわんが、来る』は2015年にKADOKAWAから刊行された(出典:KADOKAWA公式ホームページ)。
押見:原作との大きな違いはいくつかあります。
まず、一番大きいのはタイトルで、原作では『ぼぎわんが、来る』ですが、映画だと『来る』だけになっています。
また、作中に登場する化け物も名前が明確に描写されていません。原作で言われている「ぼぎわん」というのも、昔ヨーロッパ人が日本に来たときに、「ブギーマン」という化け物を伝えたのが現在「ぼぎわん」として残っているという設定なので、一応、原作でも化け物の本当の名前は明らかになっていません。映画では化け物の姿かたちも明確には登場していませんが、その点、原作では髪の長い人の形で顔全体が口になっている化け物として登場しています。原作では子どもをさらって自分の子どもにすると詳しく説明されていましたが、映画ではそれが描写されずにただ強い力を持った化け物が出てきて、それを日本中の霊能力者が力を合わせて戦うということに主題が移っているのが大きい特徴かなと思いましたね。
及川:単なるホラーではなくて家族の問題を描こうとしていることや、子どもの無邪気さに恐怖の焦点を置いていることなど、そういう要素は原作にもあるのですか。
押見:そうですね。原作でも人間の怖さのようなものは非常に強調されていて、一貫して化け物が人間に呼ばれてきているんですね。例えば子どもを育てられないとか、間引きだとかで子どもにいなくなってほしいと思ったときに、その子どもを連れていく妖怪として「ぼぎわん」というのが出てきます。映画でも秀樹の死んだ後に、津田と不倫していた香奈が千紗に対して「いなくなってしまえばいい」と言っているシーンがありましたが、それが原因で千紗が化け物に襲われる対象になっている描写もありました。
及川:だいぶたくさんの人が死ぬ作品でしたけど、秀樹も誰かにいらないと思われたということですか。
押見:それはたぶん香奈に要らないと思われたからだと思います。
及川:香奈は誰にいらないと思われて殺されたんですか?
押見:自分なりの考えになってしまいますが、千紗が香奈に怒られたり、放っておかれたりしてること、あとは千紗が「ぼぎわん」と仲良くなっている描写があったので、もしかしたら千紗の意志によるものなのかもしれません。
及川:なるほど。前にこの映画のついて聞いたとき、原作の方が人は死なないとのことでしたが、実際どうなんでしょう。
押見:そうです。犠牲者は映画の方が圧倒的に多くて、例えば、琴子も生死不明みたいな描かれ方でしたが、原作だとばっちり化け物を倒して終わっています。一番大きいのは、香奈が原作だと生き残ることです。最後も千紗は香奈とふたりで暮らしていて、まるく収まる感じになっていますね。映画では香奈も悪い面があるような描かれ方がされていましたが、原作では特に悪いところはなく、秀樹が死んだ後に不倫することもありませんでした。
及川:映画が何に力点を置いて話をまとめようとしたのかが見えてきますね。
後藤:映画は曖昧な終わり方をしましたが、それも原作とは違うのでしょうか。
押見:そうですね。原作では千紗は香奈と再会しています。千紗も純粋な被害者のような感じです。ただ、最後で千紗がうわごとで「ぼぎわん」が言ってたことと同じようなフレーズを言って、若干不穏な終わり方はしています。前半は展開としてはおおむね同じで、後半から違います。
村上:香奈ばかり家事をして、秀樹は何もしていないというところもだいたい同じということでしょうか。
押見:そうですね。そこも原作の方からおおむね一貫しています。個人的には原作は映画ほど露骨ではなかった感じはしますが。
村上:映画では現代社会の問題点のようなものも描こうとしたんですかね。
Chapter.3 連れ去られる子ども—しつけとおばけ
村上:原作では千紗と「ぼぎわん」が近づく描写があるとのことでした。子どもと怪異が近づくのは、自分もある意味身近に感じていて、例えば、幼い頃に早く寝ないとお化けに連れていかれるぞ、といった話を親から聞かされたことがあります。
後藤:自分もそんな感じです。祖父の家が林の近くにあったので、悪いことをしたときに脅かしとして連れていかれるぞみたいなことを言われました。
押見:原作のブギーマンというのもヨーロッパの方の子どもを脅かすのに使われるお化けなんですね。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』にブギーというお化けが出てきますが、それがブギーマンのテンプレートのようなもので、これも寝ない子どもを襲いに来る化け物です。子どもの脅しに化け物が使われるのは洋の東西を問わず、定番ですね。
真保:日本だと、なまはげがそれに近いのかなと思いました。
廣江:私もなまはげは近いのかなと思いましたが、子どもを連れ去る話として考えたときに思い出したのが『ねないこだれだ』2という絵本です。可愛らしい絵で、私は母が寝るときに読んでくれた思い出があるのですが、夜中まで起きているとおばけの世界に連れ去られるよ、みたいな話です。デフォルメされていますが、今回の映画に通ずるテーマがある絵本かなと思いました。

▲初版は1969年のロングセラーだ(出典:福音館書店公式ホームページ)。
及川:子どもを脅かしたりしつけたりする、したがって怖がられる存在という意味ではなまはげも通ずるところがあると思いますが、なまはげは一年の決まった時期に訪れて人間に祝福を与えて去っていく、来訪神と呼ばれる神の側面も持ちます。それゆえ、この「ぼぎわん」のような脅かすだけの存在とは少し異質かもしれません。
村上:なるほど。子どもを脅す存在とはいえ、種類があるんですね。
及川:似たようなものとしては、映画のなかでも述べられていた「がごぜ」というのがかつて広域に見られた子どもを脅かすために語られるお化けですね。柳田國男の説ですが、子どもを脅かす言葉として「噛んじゃうぞ」と言うときに「噛もうぞ」とか「かもー」と言っていたのが、そのままお化けの名称に定着したのではないかと言われています。「がごー」「がもー」「ももがー」「もうこ」と呼ぶ地域もありました。
映画のなかに出てくるのは基本的には子どもを脅かすための存在ですから、何らかの行事と結びついてるわけではありません。なまはげやその類例の「あまめはぎ」、「ボゼ」などの来訪神は日本各地にあって、文化遺産にもなっています。これは特定の行事のなかで、やってきて子どもを脅かすだけではなくて、もてなされて帰っていく存在です。
村上:映画にも出てきたような子どもを連れていくお化けとか、あるいは私が言ったみたいな早く寝ないとお化けが出るとか、全国どこにでもあるような子どもをしつけるためのものが変化していって、今回の映画のような伝承のようになったということですか?
及川:この映画の「ぼぎわん」というのは架空のお化けですが、全国各地に、または家庭単位の場合もあるかもしれませんが、ローカルな子どもを脅かす存在みたいなものがあったということです。変化したというか、それを題材にして解釈を加えた映画というところでしょう。
押見:お化けの呼び方として「かもー」という言い方が由来になったと先生が仰っていましたが、噛むというのはこの『来る』という作品でも出てきています。先ほども言ったように化け物の顔は全体が口になっています。一番最初、秀樹の同僚が化け物に傷つけられて死にますが、映画でも「乱杭歯の噛みあと」って言ってましたよね。そういう面でも作者が元々お化けが噛もうとして襲ってくるというのを下敷きにしているのかなと思いました。
及川:もしかしたらそういう伝承を背景に考えられたものかもしれないですね。