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TEACH IN MOVIES 第2回『蜜蜂と遠雷』後編

2020.08.21

Chapter:2ーー現代のピアニストとしてのリアリティ

種石:それぞれのキャラクターについてはいかがでしたか。

赤塚:理想化されてますけど、いろんな意味で現代のピアノを考えたときに一番リアリティがあるのはマサルですよね。

種石:どういったところが現代っぽいと感じたんですか?

赤塚:まずは経歴ですよね。ジュリアード音楽院でピアノを勉強する一方で、朝走ってるシーンもありましたけど、アスリート的な意味で体鍛えている。ピアニストって身体的なアスリート性も求められるので、そういうこともやっているっていうのはひとつポイントですね。

鈴木:電子楽譜使ってるところも現代的でしたよね。いま電子楽譜使う人結構多くて、現代曲とか、そのコンクールのためだけに作られた曲が課題曲になるときは楽譜見ていいんですよ。それ以外は全部暗譜で弾かなきゃいけないんですけど。

種石:なるほど。電子楽譜は確かに現代っぽいですね。

赤塚:クラシックの世界って楽譜が必要以上に重んじられてるんですよ。カデンツァの場面で、マサルがタブレットを使ってるのに対して、塵と亜夜は楽譜をほとんど使ってなかったですよね。抽象的な図形楽譜みたいなものを書いていたり、何も書いてなかったり。このへんは楽譜に対する距離感みたいなものを表現していたと思うんですけど、そのなかで、一番強く楽譜ってものに依存してたのがマサルですよね。コンポーザー=ピアニスト 1 になりたいとも言ってたけど、コンポーザーってのは楽譜上で曲をつくる人ですからね。楽譜っていうものに一番深く、良くも悪くもとらわれてるのがマサルなので、そういった意味で、いかにも現代のピアニストって感じがしますね。

種石:塵君のほうは現代的なピアニストではないということですか?

赤塚:家にピアノないんだしね。そういった意味で一番ファンタジックというか、マサルとは対照的な存在だと思います。

種石:王道と邪道みたいですよね。

赤塚:こういう天才役っていうのは、映画にしてしまうと荒唐無稽で単にバカっぽくなってしまいがちだけど、上手く演じられていたし、原作より出番を減らして無理なく表現されていましたね。

種石:音大には塵君みたいなキャラの濃い人っていましたか?

鈴木:いやもっと……(笑)。もし風間塵が音大にいるとしたらもっと危ない人ですよね、さわやかすぎて。もっと癖が強いというか。

種石:こんなものじゃない?

鈴木:こんなものじゃないです。すごく悪い言葉で言えば、普通に生活ができないんですよ。保護者が必要。彼はひとりでやっていけてるじゃないですか。そこは映画だなあと。

種石:ひとりで生きていける時点で人間としてちゃんとしてるってことですもんね。栄伝さんみたいな過去になにか挫折があってというような人はいましたか?

鈴木:みんな何かしら持ってますよね。私とも重なる部分はあって、すごく気持ちは分かりますし、心からピアノが好きって言えないとか、なんで音大に進んじゃったんだろうとか、弾いてることに違和感を持つというのはみんなが通る道で、むしろピアノが大好きってここまではっきり言える人っていうのは、子どもの時はあったかもしれないんですけど、大人になってからは、やっぱり生きていくために生活を見るので難しいですね。

赤塚:そんなふうに音楽をやったところで、本当にそれで食べていく当てっていうのもないですからね。

種石:手に職があっていいなと思っていたんですけど、そんなに甘い世界じゃないんですね。

Chapter:3ーー『蜜蜂と遠雷』が描く“リアルな”世界

種石:最後に、この映画の魅力について教えてください。 

鈴木:映画は本当にリアルな音楽の現場を映してるなと思ったので、そこが一番の魅力ですね。亜夜が闇を抱えながら、ピアノのことを100%好きって言えない気持ちとか、音楽に愛されている人を見て、自分はそうではないと思って泣いちゃうところとか、そういう闇を抱えて生きてるっていうところのリアルさ。やっぱりつらいんですよ演奏家って。社会に出て、好きなことをずっとやってきていいねとか、音大にいた時も、好きなことを仕事にするってすごいねって言われたりしたんですけど、好きなことを仕事にしたりとか、それを仕事にしようって思ってる時ってもう好きじゃなくなってることって多くて。つらいことも、うれしいこともすべて受け止めて、それで食べていこうっていう覚悟を持ってやっていかないといけない。なので全部が全部幸せなわけではないし、むしろ好きなことが嫌いになっていくことのつらさっていうのはほんとに大きいんです。そういう影の部分まで表現されてる映画って、これまで少なかったんじゃないかなって私は思います。

種石:そうですね。主人公が自分の好きを疑わないタイプの作品が多いですもんね。

鈴木:小説はピアノに対しての暗さに無関心なんですよね。映画の中で、音楽が100%好きって言いきれないところとかは演出なのか、松岡茉優さん自身の解釈なのかわからないですけど、そういうところも見ていただけたらなあと。

赤塚:ちょっと病的な感じを、そこまで露骨ではないけど瞬間瞬間に感じさせていて、そういうところは大したものだなあと思いましたね。

鈴木:あとは音楽がほんとにいいです。ずっと泣いてましたもん。音のきれいさに泣けたときもありましたし、亜夜に重なる部分を見て泣いてしまった時もありました。

種石:そういう過去とか何にもない私でも号泣したんで経験者なら余計そうだろうなあと思います。好きなものを嫌いになってしまう苦しさって音楽だけに限らない気がして。就活が差し迫った身として、いろいろ共感する部分がありました。

鈴木:好きなことは仕事にしていいと思うんですけど、趣味を仕事にするのはやめたほうがいいと思います。

赤塚:私なんかは趣味と仕事っていうのがかなりオーバーラップしてるわけさ。学問上で得た知識が趣味の演奏に反映されてるし、趣味の演奏の体験とかが学問的なことのヒントになったりしてるので、間違いなくつながってるんだけど、それでも自分の中で絶対ここは一線を画したいっていう恐怖心みたいなものが強くありますね。

種石:なるほど。趣味と仕事の境界をはっきりさせておくことが大事なんですね。赤塚先生はどんなところが魅力だと思いましたか。

赤塚:音楽史を研究してる人間からすると、この映画はいわゆるクラシック音楽的なイメージっていうのが前提になって作られてる話だと思うんですよね。コンクールっていうのは、ある意味クラシック音楽のルールとか秩序とか理念とか、そういったものが凝縮したものなんです。私はそういうものに否定的な立場なんですが、この映画の中でコンクールっていうものの是非を問おうとしたのが、一つには「生活者の音楽」という理念であり、もう一つはアカデミックな世界に対して、まったく、その習慣外からやってきた異星人キャラである塵くんだと思うんですよね。こういった人たちが活躍することで、クラシック音楽的な理念を壊そうとするところをぜひ見てほしい。でもこのふたりはクラシック音楽の規範から完全に逃れているわけではなくて、結局は、閉じた世界の中で物語が進んじゃってるというところに対して、音楽ってそういうもんじゃないだろっていうさらに外側から批判的な目を向けるっていうこともできていいんじゃないかなと思いますね。

▲赤塚先生(左)と鈴木和音さん(右)

  1. 自身も優れたピアニストであった作曲家を指す。