読みもの

TEACH IN MOVIES 第1回 『天気の子』後編

2020.05.29

「TEACH-IN MOVIES」へようこそ。

今回のテーマは「天気の子」。前回に引き続き4人のゲストに語り合っていただきます。

それでは、「天気の子(後編)」ティーチイン!

Chapter.3――リアリティと純粋さのあいだ

新倉:前回、子供たちがしっかりしてるっていう話が出てましたけど、逆に大人は情けない人たちばっかりでしたよね。いいんですか、日本の警察はあんなにだらしなくて(笑)。

種石:私は、警察は「ちゃんとした大人」として描かれていたなと感じました。やっぱり銃持ってたらダメだし、子供がひとりで暮らしてたらダメじゃないですか。その一般論を具現化した存在として出てきたのが警察だと思っていて。対して須賀さんと夏美さんはその中間地点というか、「子どものままでいたい大人」みたいな。少し主人公たちに寄った存在として描かれていて、大人でも2種類いるなと感じました。

新倉:私はむしろ、ちゃんとするべき大人がちゃんとしていないなと感じましたね。警察もそうですが、本来、災害が起きたときに救助するような存在が無力に描かれていたように思って。例えば先日、台風が来たときに各鉄道会社が運休したり、そのほかにも様々な形でシステムが動いていたと思いますけど、そういう部分は映画の中ではほとんど描かれていなかったですよね。そういった意味でいっても、ゼロ年代に流行ったセカイ系1っていうものをしっかり踏襲しているなと。男女と世界が直結してしまって、その間にあるべき社会とか国家とかっていうものがスカッと抜けてしまっている。

後藤:確かにリアリティが無いなと思いました。

種石:わざと描かなかったんじゃないですか? それよりも別のところにフォーカスしたいから。

新倉:それもあると思いますね。私たちの世代でこの映画に違和感を持つ人たちは、リアリティについて考えてしまうわけですけど、そのリアリティの無さが若い人たちからするといいのかもしれないですよね。別にそんなところで国家とか、大人の論理とかが動いてるのなんかは観たくなくて、ボーイミーツガールして、連れ去られた姫君を王子様が連れ戻してくる物語が観たいんです、と。そういうリアリティの感じ方も少しずつ変わってきてるんじゃないかな。こういう作品を観るたびに年を感じるっていうね(笑)。

後藤:うわぁやだな。昔だったらもっと純粋に観れたのかな。

種石:純粋にかぁ。最後ってやっぱりセカイ系らしく、世界か彼女かって感じになるじゃないですか。多分10代、それも中学生とかだったら、愛さえあればみたいなとこがあるから共感して観れたんだなと思うんですけど、今はなんか公共の利益を考えて東京を救ったほうがいいんじゃないみたいに思っちゃう。

新倉:だから大学生は描かれないんじゃないですか? 公共の利益を考えちゃう主人公なんて、ね。

Chapter.4――『天気の子』とオカルト

後藤:今作でも『君の名は。』と同様に伝承と巫女というふたつの要素が出てきましたがそれについてはどう思いましたか?

国沢:今回もヒロインが巫女で、空の世界と地上の私たちの世界を媒介する存在になってましたよね。巫女さん以外にも空から魚みたいなのが降ってきたりして。

後藤:あれのモチーフはスカイフィッシュ2ですかね? 結局分からず終いでしたけど。

種石:そういう空から何かが降ってくるっていうのは、オカルト的に割とある話なんですか?

国沢:結構昔からあるみたいですね。魚とかカエルとか。

種石:カエル!?

後藤:ファフロッキーズ現象3っていうみたいですね。2009年には石川県でオタマジャクシが降ってます(笑)。

新倉:オカルトの話で言うと、「ムー」とか出てきてましたよね。新海さんの仕掛けのひとつだとは思うんですけど、民俗学とか伝承とかの話を織り込んでいくなかで、それをあえてオカルトという形に当てはめてしまうことによって、物語がその分野に深く入り込みすぎないように距離を取ってるのかなって思いました。

後藤:なるほど。あえて胡散臭くすることで小難しい考証とかを排除して、感覚で楽しめるようにしたってことですね。

種石:そうだとしたら、めちゃくちゃ考え込まれてますね。

Chapter.5――銃の登場

▲マスコミュニケーション学科 3年(取材当時) 後藤文哉さん

後藤:個人的には、銃が登場したことが印象的だったんですが、皆さんはどう感じましたか?

新倉:そうそう。銃が出てきたときに、これは永山則夫の事件4か!と思ったんですよ。 

後藤:永山則夫ですか?

新倉:『まなざしの地獄』5という論文を授業で皆さんと読んでるんですけど、高度成長期に東北から集団就職で東京にやってきた永山則夫という少年が、米軍基地に潜り込んで、銃を盗んで広域殺人を犯すんですよ。1968年から1969年にかけてのことです。

種石:それはなんで起こしたんですか?

新倉:まず、東京は彼にとって「生まれ育った故郷」という貧しさの象徴を否定する場所なんです。夢の空間のはずなんだけど、かといって彼を受け入れてくれるかっていったらそうではない。様々な形で自分の存在みたいなものを痛感させられる出来事があって、夢見ていた成功は東京では得られない。そういったことが引き金となって起きたと言われてる事件なんです。映画を観て、ああ、この子は現代の永山則夫になるのかしらと思って。島から家出して東京にやってきて。

種石:冒頭であんな扱いされて。

新倉:そうそう。ここから連続殺人事件が広域で起こるのかしらと思っていたら、東京からは出ないし、誰も死ななかったし。私の期待は若干裏切られたわけですが、まあ新海さんが描いた物語のほうがいいと思ったので全然問題ないんですけど(笑)。皆さんは銃が出てきたときどうなると思いました?

国沢:私も銃が出てきたときは、これがキーになって、人も死ぬぞと思ったんですけど、結局何事もなく、最後のほうは銃の存在を忘れてましたね。

後藤:自分は銃があったから、その後のいろいろな犯罪に繋がってしまったのかなって。

種石:でもVS国家だったから銃くらい持ってないと戦えなかったんじゃない?

新倉:力の象徴なんだろうなっていうのは皆さんと話してて思いますね。でもそこで彼が力を手にすることが一体何を表しているかというと確かに分からないですね。

種石:思春期といえばやっぱり銃なんじゃないですか? 制御できない若さの暴走の象徴として出てきたのかなって。攻撃性とか、衝動性のような。

後藤:まあ、未成年じゃなかったら間違いなく刑務所行きですからね。結局、なんで銃が出てきたのかは、皆で話してもよく分からないですね。

Chapter.6――いい映画の条件とは

後藤:今回初めての「TEACH IN MOVIES」でしたが、皆さんやってみてどうでしたか?

国沢:私は普段映画はあまり観ないので、こういう機会に観て、皆さんとお話できて、すごく楽しかったです。

後藤:自分もいろんな人の意見を聞けて良かったですね。大人の描き方とか、ファフロッキーズ現象とか、永山則夫の事件とか。普通に映画観てるだけでは思いつかないですもんね。みんな考えながら観てるんだなって思いました。

種石:私はすごい感動して観ていたんですけど、他の人の感想とか聞いてるとそうでない人もたくさんいるなあと。

新倉:だからこそヒットしてるんじゃないですかね。そうやって議論を引き起こしたり、みんながあれやこれやと感想を言いたくなるのはいい映画の条件だと思うんです。そういう意味でいうと「天気」っていうのは誰でも関係があることなので、いいテーマなんじゃないですかね。新海さんはそういった意味でいろんな仕掛けをしてるんだと思います。これでいいのって思える結末も、これでいいんだって思える人だっているし、これじゃやばいよねって思う人もいますからね。

あとはみんなあんまり怒らないんだなと思いましたね。というのも、悪いように見たらすごく批判できちゃう映画だと思うんですけど、そんな風に批判してもねっていうところで皆が消費してるというか、受け入れてる感じがしますね。

種石:それは客層が若いから受け入れられたってことですか?

新倉:多分、若い子が観たいものがあって、新海さんはそれをちゃんと観せてるっていう関係は間違いなくあると思いますね。『君の名は。』の時も盛り上がるというか、食いつかれる要素をごっちゃにして、ここまでやったらうけるに決まってるだろみたいなそういうことを言われてましたけど、それをまとめてひとつの作品に完成させるっていうのはやっぱりすごい力だなと思いますね。

「『天気の子』(前編)」

  1. 主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと。
  2. (英: Sky Fish)とは、長い棒状の身体を持ち、空中を高速(280km/h以上)で移動する、とされている未確認動物(UMA)
  3. fafrotskiesはfalls from the skiesからの造語》小魚やカエルなどの異物が、空から大量に降る現象。竜巻や突風によって巻き上げられたものとする説もあるが、原因は不明。ファフロッキー現象。(小学館 デジタル大辞泉より)
  4. 永山則夫連続射殺事件:1968年(昭和43年)10月から11月にかけて、東京都港区・京都府京都市東山区・北海道函館市・愛知県名古屋市港区の4都道府県において、各犯行当時19歳の少年だった永山則夫が相次いで起こした、拳銃による連続殺人事件である。
  5. 見田宗介, 2008, 「まなざしの地獄――尽きなく生きることの社会学」河出書房新社.